孤高の事務員について

きたかぜ
きたかぜ

訪れてきただきありがとうございます。

管理人の「きたかぜにな」と申します。

夫と2人の娘と北国で暮らしています。

まずは私の職歴を・・・。

育児用品専門店の社員

短大を卒業してから、育児用品専門店の社員として就職しました。

玩具の担当する事になり、売場で忙しく接客したり、レジしたり、品出ししたり、走り回って仕事していました。

事務所に行くと、事務員さんは座って仕事をしている・・・。

「なんか、楽そうだな~」と当時の私は思っていました。

そんな時に事務員さんが産休に入る事になり、その間の事務員として私が抜擢されました。

1年間の約束でしたが、売場の仕事が楽しかったので絶望でした。

そして、いざ事務員として働きはじめると、その仕事量の多さにびっくり!

まず、電話をとるのが怖い・・・。

クレーム対応や道案内。

地元の職場ではなかったので、道案内は特に苦手でした。

そして、事務所にいるとパートさんからパソコンの使い方をめちゃくちゃ聞かれる。

その他にも、「プリンターがおかしい」とか「レジが動かない」とか「トイレが詰まった」とか、細々とした仕事が事務員に降りかかります。

そういう対応をしているうちに、通常業務が進まず、一人で静かにパンクしていても誰も気づかない。

当時の事務員は私一人だけでした。

共有や共感ができないのはつらいものがありました。

でも、1年間でたくさんの事が身に付きました。

経理の仕事を覚え、道案内もできるようになり、パソコンも使いこなせるようになりました。

そうして、レベルアップして売場に戻る事ができました。

大好きな会社でしたが、結婚を機に地元に戻る事になり退職します。

某自動車メーカーの事務員

次には、某自動車メーカーに就職しました。

総務課に配属され、事務員さんになりました。

前とは違って同じ事務員さんが何人もいたので、全然つらくない!

つらくないけど、・・・ぬるい。

仕事内容も買掛金の伝票おこし(当時は手書きでした)がメインで他に細々とした仕事。

課長は堂々と居眠りしているような会社でした。

そして1人目の妊娠を機に退職しました。

福祉施設の事務補助(パート)

その次には、福祉施設の事務補助として短時間のパートで働き始めました。

補助的なお仕事だったので仕事内容は簡単でした。

事業として農作物の販売もやっており、販売用のラベルシールや施設のイメージキャラクターのデザイン、イベントのポスターなども作ってました。

そして2人目を妊娠して退職します。

事務員のつなぎ

そして、2人目妊娠中に知り合いから頼まれ、また事務員として働き始めます。

前事務員さんが、事情があって突然辞めなくてはいけなくなり困っているとの事だったので、次の事務員さんが決まるまでのつなぎとして働く事になったのです。

引き受けたものの、困りました。

引き継ぎなし、聞く人もいない、事務の事を分かっている人が会社にいない。

前の書類を見て手探りでなんとか道を切り開いていきました。

3ヶ月間、場をつないで、次の事務員さんに引き継ぎました。

福祉施設の事務員兼生活支援員

2人目出産後すぐに、別の福祉施設の事務員として働き始めました。

そこでもほとんど引き継ぎなし、マニュアルなし、一人きりの事務員でした。

前の福祉施設では事務補助でしたので、雑務的な事しかやってきてません。

福祉施設の特殊な事務仕事が分からない・・・。

市役所に聞いたり、前の施設に聞いたり、自分で調べたりしてなんとか頑張りました。

ここでは、事務仕事だけではなく、商品作りや配達、販売、イベントのポスターや施設のパンフレットの作成、利用者さんへのトイレ介助などの生活援助、調理員が休みの時は給食も作ったり、本当にたくさんの事をやらせてもらいました。

今までで一番忙しい職場でしたが、職員同士も仲が良く、利用者さんも明るくて、とっても元気な職場でした。

そんな中、私の母が脳出血で倒れ、更に母が入院中に父がヘルニアの手術を受けることになりました。

しばらくは働きながらサポートしていましたが、休みをとっても仕事は溜まっていくばかり。

介護の為、退職する事にしました。

無職

そして今、無職です!

思えば引き継ぎなしで事務員になった時、流れをつかむまで本当に大変でした。

そんな時、ネットの情報にたくさんお世話になりました。

あの日の私のように、日々奮闘して一人で事務員さんをやっている方々を応援したい。

そんな思いで当サイトを立ち上げました。

マイペースな更新ではありますが、みなさんの役に立つ情報を発信していきたいと思っています。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。